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オープンダイアローグ その1

  私がいま気になっていることは"資本主義"、"イスラーム"などいろいろとあるのだが、一番のテーマといえば"オープンダイアローグ"である。

 はじめに、どこからここにたどりついたのだろうか?  

 ひとつめのポイント。
 自分自身ではないのだが、十年あまりにわたって"心療内科"というものにかかわる事情があった。基本的に診察、薬という決まったことの繰り返しであるが、はたして薬というのはどうなのかな、という疑問があった。
 私自身が薬が苦手ということもあるかもしれない。だからよけいにそう思ったのかもしれない。副作用みたいなものが生じることも事実なので、できる限り避けられないものか、と考えていた。
 薬なしで問題が発生していたのだから、薬の処方が必要となったのだが、先行きの見通しがつかないなかで、改善とゆり戻しの繰り返しであった。改善策をいろいろと考えてみたものの、状況が大きく変わることはなかった。
 この点に関しては2015年秋から変化がみられることとなったが、その要因もふくめて、個人的な事情に関わるのでここでは取り上げない。

 ふたつめ。
 二つの事例があり、二つともが約十年前のことである。
 まずは統合失調症。ネットを通じての知人のパートナーが発症し、最終的には離婚にいたったのだが、その最終局面で私が二人の離婚を後押しすることとなった。病気のことをよく知りもしないのにそうしたのだが、当人たちが了解していたとはいうものの、おそらく今だったら決して後押しはしなかっただろうと思う。
 離婚にいたるには病気そのものだけでなく、自宅の火災などなどの要因が絡んでいたので、結果としてではあるが、もっと違う選択もありえたのではないかと、いまでは思っている。
 次にはうつ病の例。これもまたネット上経由で面識を得ることになった知人の例。  
彼のミュージシャンである子息が自宅マンションの上の階から飛び降り自殺したことがあった。飛び降りた、ちょうどその時に、私は知人と電話で話をしていたという、みごとに物語のようなことがあった。子息はうつ病であったとのことをその時に知った。あとで聞くと知人自身もうつ病であったということであった。

 これらのことがあった時点では私にとって精神病と言われるものはごく普通の人と同じような位置づけであった、つまり自分には関わりのない遠いことであったように思う。

 みっつめ。
 直接に関連があるということではないのだが、先日まで大学のキャリアセンターという部署、簡単に言えば学生を就職させる部署、昔の名前では就職課に在籍していて、いろいろな問題を抱えて困っている学生と接する機会があった。それ以外の学生でも、いわゆるシューカツがもたらすプレッシャーによって半病人と感じられたことが多くあった。型どおりの一律な指導ではなく個々の学生に応じた対応を考えていたものの、なかなか対処するのは難しいと感じていた。
 指導する側も決して専門的なトレーニングを受けていたわけではなく、問題そのものの認識が出来ていないとさえ思えることも多いと私には思えた。 何か方法があるのでは、と考えていた。しかし大半の人は「仕事」として、その対象としてしかみていないな、と思った。今はその職場を離れているが、やはり気になるテーマのひとつではある。 

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 そのような状態のなかにいるとき"オープンダイアログ"と出会うこととなった。

 正確にいうならば2015年8月15日、朝日新聞に『オープンダイアローグとは何か』斎藤環<著・訳>についての書評が載った。

 書評を書いたのは大竹昭子(作家)で書評の中の次に引用するふたつのフレーズにひらめいた(!)のである。

 以下引用する。

 ■対話により個から問題を解き放って、みんなが感じ取れるレベルに昇華するよう場の力に恃(たの)むのだ。

 ■症状が他者と分かちあわれ人間全体の事象として受け止められたとき、患者のなかに安心感が芽生え、結果として症状が消える。その鍵が言葉にあるという考え方は大きな励ましだ。希望を抱きにくい時代への希望の書であり、教育や介護、ワークショップやトークショーなどにも大きなヒントになるだろう

  「対話により」というところや「他社と分かちあわれ・・・患者の中に安心感」というところ、特に最後の部分、要約して言えばいろいろな局面、教育や介護などに、もちろんもっと多くの場面で応用が出来る、というのが私にとつては大きなヒントとなったのである。

 どのようにして、どんなシーンに対して、ということはそれ以後考えているが、まだ具体的な形はとっていない。ムードだけでは何も出来ないのはいうまでもない。
 肝心のオープンダイアロ-グとはどのようなものであるか、それを知らなければならないと考え、勉強をしかけたところである。

 いうなれば学習ノートとしてブログを書いていくこととする。

 ※2016年3月に書いた記事を修正し再掲することとした。
 ※記事を書いて約二ヶ月が経ち、いろいろと経験は増えているものの、なかなか記事が書けないでいる。

                        

                2016/05/22  BIblio Kei